■ カーターホール誕生記
第39代アメリカ合衆国大統領ジミー・カーター閣下と黒部市にメイン工場を有するYKK株式会社の創業者 故吉田忠雄氏は、閣下がジョージア州知事時代からの親しい友人関係にあった。閣下の大統領就任式には日本の数少ない民間人として故吉田忠雄氏が招待されている。
そのような縁があり、1984年5月に開催されたYKK株式会社創立50周年記念式典でカーター閣下の黒部市訪問が実現。閣下の強い希望により、閣下と多くの市民が親しく話し合うタウンミーティングが行われ、市民とカーター閣下との友情の絆が結ばれた。
1993年4月、閣下が黒部市を再び訪問。市民とのタウンミーティングが実施され、更にその友情の絆を強固なものにした。
そのとき、この黒部市国際文化センターの説明をし、「世界平和のために活躍されるカーター閣下の名前を悠久に留めるため、大ホールをカーターホールと命名したい」と申し出たところ、閣下はその申し出を快く了承された。
カーターホールの完成にあたり、閣下より世界平和をよびかけるメッセージが寄せられましたので、そのメッセージを銘板に刻み、ここに掲げるものです。
メッセージ

Understanding the lives of our neighbors through culture and education is a powerful force for peace, the cause to which Rosalynn and I have devoted our lives. The City of Kurobe has created a precious opportunity for its citizens to strengthen their ties to people around the world. I am deeply honored that this hall bears my name.
Jimmy Carter
文化と教育を通して隣人の生活を理解することは、平和を築くための大きな力となります。妻ロザリンと私は、まさにそのために生涯を捧げているのです。黒部市は市民に対して、世界の人々との絆を堅固なものにするための、貴重な機会を創られました。このホールに私の名前が付けられたことに、大きな名誉を感じます。
ジミー・カーター