声聞けば 暑さぞまさる 蝉の羽の 薄き衣は 身に着たれども 『和泉式部集』 ※一部かな文字を漢字に改めてあります。
(蝉の声を聞くと、暑さもいっそうまさるというものです。蝉の羽のような薄い衣をわが身はまとっているけれども)
「どんなに薄着しても、もうこの暑さ耐えられないっ! しかもセミの鳴き声を聞くとますます暑っ苦しいわ!」と和泉式部の声が聞こえてきそうです。
NHK大河ドラマ『光る君へ』が話題になっています。高校の古文の教科書でもお馴染みの清少納言の随筆『枕草子』「雪のいと高う降りたるを」の一節、「『少納言よ。
香炉峰
の雪いかならむ』と仰せらるれば、
御格子
上げさせて
御簾
を高く上げたれば、笑はせ給ふ」。一条天皇の中宮・定子と清少納言が、漢詩文の教養をもとに機知に富んだやり取りを繰り広げるシーンが、ドラマではそのまま再現されていて興奮を覚えました。中国の唐時代の詩人・
白楽天
の詩の中に「
遺愛寺
の鐘は枕を
攲
てて聴き、香炉峰の雪は
簾
を
撥
げて
看
る」という一節があります。京の都に雪の降った朝、定子は清少納言に「あなた、白楽天の漢詩ぐらいは知っているわよね」という心づもりで「中国の名山・香炉峰に降り積もる雪はどんな感じかしら?」と尋ねました。すると清少納言は「はい、もちろん存じ上げておりますわ、中宮様!」と言わんばかりに無言で簾を上げて、庭の雪をお見せしました。すると定子は満足げにお笑いになり、定子のサロンに居合わせた人たちは、そのレベルの高い知的やり取りに驚いて感心したという場面です。
一条天皇のもう一人の中宮、道長の娘・彰子のサロンに、紫式部や和泉式部らと共に仕えたベテラン女房・
赤染衛門
の
遺
した歴史物語『栄花物語』には、二十歳の一条天皇に十二歳の彰子が
入内
して間もなくのでき事が記されています。「打ちとけぬ御有様なれば、『これ打ち向きて見給へ』と申させ給へば、
女御殿
、『笛をば声をこそ聞け。見るものかは』とて聞かせ給はねば」。一条天皇が、宮中に馴染めない彰子に得意の笛を聴かせようとします。ところが横を向いたままの彰子に、「こちらを見ておくれ」と声をかける帝に対して、「笛は聴くもので、見るものではありません」と言って周りの人々を凍りつかせる場面もしっかりと描かれていました。
平安時代を知るために不可欠な資料として歴史物語『大鏡』があります。大学入試・古文でも度々問題として採り上げられる「
故女院詮子
の
四十
の
賀
」の場面も、今の時代にも分り易いアレンジが施された演出で感心しました。「故女院の御賀に、この関白殿『
陵王
』、
春宮大夫殿
『
納蘇利
』舞はせ給へりしめでたさはいかにぞ。「陵王」はいと気高くあてに舞はせ給ひて、(中略)「納蘇利」のいとかしこく、(中略)えもいはず舞はせ給へりし」。この事は藤原
実資
の『
小右記
』や藤原行成の『
権記
』などにも記されています。女院とは“道長推し”だった道長の実姉・詮子。その四十歳の誕生祝に、道長の正妻・倫子の子である後の頼通と、妾・明子の子、後の頼宗が競って舞を披露する場面です。演奏は、現在一線で活躍する雅楽演奏家ほかの皆さんが担当されていました。世界最古のオーケストラと言われる雅楽。現在の雅楽演奏では用いられなくなった尺八が再現されていて感嘆しました。
794年から1185年まで約400年にわたる平安時代。そのちょうど中間点の1000年前後、藤原氏を中心とした貴族文化が花開いた時代です。貴族は“遊び”が必修科目でした。遊びとは
詩歌管弦
……漢詩を作り、和歌を詠み、楽器を奏でることです。貴族たちはこれらの能力を磨くことで自らの存在価値を高め、アピールしていたのです。出世も恋愛も、“遊び”の能力、つまり文化度が高くないと成就しなかったのが貴族社会と言えましょう。さらに、かな文字の使用が日常化したことも、自己表現やコミュニケーションの手段としての和歌、そして数多くの文学作品など、後代に大きな影響を与える高度な文化が生まれた背景の一つとされています。
登場人物は400人を優に超え、当時の貴族社会のあり様を“エンターテインメント小説”として仕立てた作品こそ、古典文学の最高峰、紫式部の『源氏物語』です。現存する能の演目235曲の中に、『源氏物語』を題材にするものは、「
半蔀
」「
夕顔
」「
葵上
」「
野宮
」「
浮舟
」など10曲を数えます。能に限らず、現在伝承されているさまざまな伝統芸能で、和歌や古典文学に取材している演目がいかに多いことでしょう。
支配階級の貴族社会において「文化力」が人間の価値基準だった平安時代が終焉を迎えると、「武力」の優劣が価値となる武士の時代が長きに渡って続くことになります。もちろん武士の時代にも前述の能をはじめとする優れた文化は多々創り出されましたが、戦乱の世を武力で鎮めた徳川家康によってつくり上げられた泰平の世、江戸時代(1603~1868)は再び「文化の時代」として、文学、芸能、美術工芸ほか、今につながる数々の創造が成されることになります。
2025年の大河ドラマは『べらぼう ~
蔦重栄華乃夢噺
~』。書物や浮世絵など幅広くプロデュース活動を展開したメディア王・蔦屋重三郎が主人公です。私たちのアイデンティティである日本文化の水脈を、大河ドラマを通して2年続けてたどることができる……今から本当に楽しみです。
「笙(しょう)」
「篳篥(ひちりき)」
「龍笛(りゅうてき)」
雅楽で用いる吹き物「笙(しょう)」「篳篥(ひちりき)」「龍笛(りゅうてき)」
雅楽で用いる「琵琶」