ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い

【其の八】僕の困った十八番……トチリ

1999年6月

 5月の爽やかな季節となりました。

 よく「木の芽時には……」なんてことを言われますが、自分でも少々心配なことがあります。眼鏡をかけたまま顔を洗ってしまったり、マスクをしたままお茶を飲もうとしたり、子供の頃からそそっかしい傾向は多分にあったのですが、特に最近そんなトチリが多いのです。熱のせいか、睡眠時間の減少のせいか、年のせいか(いや絶対違う)原因は定かではないのですが、「小野木のアレがまたはじまった」ということで、心ある仕事仲間からは、実にナイスなフォローをいただき事なきを得て、というより本当に皆様のお陰様でこの仕事をさせていただいているのだなぁとつくづく感謝の念を抱く今日この頃です。

 本番の時、舞台の袖についていると、自分が演じるわけでもないのに、やり場のないぐらいの緊張感を感じる時があります。自分のすべてを賭けて芸の蓄積を披露するエネルギーを、幕が開くギリギリまでパンパンに膨らませたアーティストから発せられるオーラなのでしょうか。そんなアーティストをがっちり支えつつ自己表現をしている舞台、照明、音響スタッフのオーラなのでしょうか。幕の外で日常生活からのひと時の開放感を目前に、期待に胸を膨らませたお客様から緞帳を通 して伝わってくるオーラなのでしょうか。そんなオーラが一つになった時、まさに「火花散る劇場空間」を体験できるわけなんですが……。

 とはいえ所詮は人間のやること。ときどきその歯車が外れるときがあります。緊張感が強いだけに、一度外れると悲劇だか喜劇だか収拾がつかなくなるときがあります。歌舞伎の世界でも、出番直前に入ったトイレのスリッパを履いたまま舞台に登場しちゃったり、激しい立ち回りで鬘が飛んだ、照明さんが気をきかせて暗転、役者が慌てて拾ってかぶり直して再び明かりがついたら鬘を逆さにかぶってた! なんて“トチリ伝説”は沢山残っています。

 ところで、最近出版された『歌舞伎ことば帖』(服部幸雄著・岩波新書)によると、その「とちる」という言葉も歌舞伎の世界からきた言葉だそうです。早合点や早のみ込みによる失敗、これを「早とちり」と言いますが、これは僕の十八番(※)。歌舞伎の世界で「とちる」とは「役者がせりふを忘れたり、言い間違えたりする」という意味で江戸時代から使われていたそうです。トチッた役者は関係者にお詫びとして「とちり蕎麦」を振る舞う習慣がありますが、今では「とちりコーヒー」を出す役者もいるそうです。この本は、単に生活に溶け込んだ歌舞伎用語の紹介にとどまることなく、その「ことば」の背景にある文化が語られています。木陰に腰を下ろし薫風に吹かれつつ読む一冊にお勧めします。

(※)
「助六、鳴神、勧進帳……」等の十八演目は市川団十郎家の「家の芸」とされています。これらの演目は「市川家にまかせとけ!」ってわけですね。そこから得意芸のことを「十八番」と言うようになったそうです。

(1999年06月 COLARE TIMES 掲載)

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