ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い
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COLARE TIMES
【其の八拾九】琵琶二題
2016年7月
三味線をバチで弾くのは、琉球から渡って来た三線を初めに弾いたのが琵琶法師だったからではないかと言われています。まさに『真田丸』……真田信繁の時代です。琵琶の伝来に関しては実に諸説ありますが、西アジア(ペルシャ辺り)を起源に、シルクロードから中国経由で奈良時代に日本に伝来したと言われています。中近東のウードという楽器が原型とされていますが、地域毎にさまざまに顔を変え、雅楽と共に中国から辿り着いたと言うことが知られています。
中でも838年、遣唐使として唐に渡った藤原貞敏が学んできた独奏曲『流泉(りゅうせん)』『楊真操(ようしんそう)』『啄木(たくぼく)』は秘曲とされ、師事した師匠より「伝承するに足る資質」を認められた者のみが口頭で伝授されるという形で伝えられたそうです。
『方丈記(ほうじょうき)』『発心集(ほっしんしゅう)』などの著者として知られる鴨長明(かものちょうめい)(1216年没)が“事件”を起こしました。長明自身は正式に伝授されていない秘曲の『啄木』を公の場で演奏してしまったのです。平安末期の琵琶の名手・藤原師長(もろなが)から伝授を受けていた藤原孝道(たかみち)はこの事実を知り猛然と抗議。それが鴨長明の遁世の原因との説もあります。その他多くの古典文学に、琵琶の秘曲伝授に関するエピソードを見る事ができます。
今年5月22日に横浜能楽堂で「楽器は東へ西へ 琵琶とマンドリン」という公演がありました。シルクロードを通り東と西に伝わった琵琶とマンドリンの演奏を、音楽史的裏付けを踏まえた構成で展開した見応え聴き応えのある公演でした。そこで、<楽琵琶(がくびわ)>の演奏家・中村かほるさんが『啄木』を演奏されました。啄木鳥(きつつき)のさえずりやドラミング(嘴で木をつつく習性)を模した奏法をちりばめた最秘とされる曲を、自身が古譜を解読して復曲。現代のように「時間の隙間を多くの音数で埋め尽くすことで、演奏する側と聴く側の歯車が合う時代」の価値観とは異なり、一音に、また音と音の間に伝えたい思いを込めるような演奏と感じました。楽琵琶は世界最古のオーケストラとも言われる雅楽の中で旋律の演奏は担当せず、曲にアクセントをつけるリズム楽器のような役割を担う事がほとんどのようですが、楽琵琶を再び独奏楽器として甦らせ、現代にメッセージを伝え得る楽器としての可能性に賭ける中村かほるさんにエールを贈りたくなりました。
楽琵琶という楽器は、その後琵琶法師たちの語る『平家物語』を伴奏する<平家琵琶>となり、それとは別系統で九州を中心に、法師姿で琵琶語りをする<盲僧琵琶(もうそうびわ)>という集団が独自の楽器や音楽を生み出しました。その盲僧琵琶から発展したのが<薩摩琵琶>と<筑前琵琶>です。とくに明治維新後、薩摩藩士の中央進出と共に薩摩琵琶も「武士の琵琶」として紹介され、大流行したようです。その背景には明治以降の戦争が大きく影を落としています。日清・日露戦争の勝利を謳った曲が数多く作られたことが琵琶ブームにさらに拍車をかけました。黄楊(つげ)の大きなバチで堅い桑の腹板(ふくばん)を叩くような奏法など力強さが際立ちますが、結果軍部にも大いに利用され、戦争鼓舞に一役買った歴史があるのです。明治以降の琵琶歌の構成は「七五調」が中心で、その構成は当時民衆に親しまれていた軍歌と同じとも言える訳です。
中世から続く四弦四柱薩摩琵琶の後藤幸浩さんと昭和の改良五弦五柱琵琶を操る水島結子さんによるベテラン×若手女子の世にも珍しい男女異流派による<琵琶デュオ>。この二人が、第1次、第2次大戦下でどのような琵琶歌が作られていたか、他の芸能とも比較しつつ当時の琵琶と人々の関わりについて展開するレクチャーライブ『戦争と琵琶』を始めました。歴史物語や古典的素材を扱った作品や器楽だけの現代音楽ばかりが演奏される昨今の伝統音楽の世界。現代の世相と向き合う琵琶デュオの“骨っ節”に大きな共感を覚えるのです。
伝統楽器の中でも、三味線、箏、尺八などと比べると耳にする機会は確実に少ない琵琶ではありますが、「今」と言う時代に向けて熱いメッセージを発信する3人の琵琶演奏家から目が離せません。