ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い
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【其の九拾壱】病鉢巻(やまいはちまき)と祈祷師
2017年2月
昨年師走の半ば、関西出張中にノロウイルスにやられ、満足な食事もできず体力が落ちていた時に引いた風邪をこじらせて気管支炎を併発。咳が止まらず話すことも儘ならず難儀しました。そんな時、咳で苦しむ体を見せる松王丸の姿が脳裏に浮かびました。
人形浄瑠璃・文楽や歌舞伎の人気演目としてたびたび上演される『菅原伝授手習鑑』。その「寺子屋」の場面で、松王丸は旧主人・菅丞相(菅原道真がモデル)の子・菅秀才を救うために自分の息子を身替りに差し出し、何と愛息の首実検をすることになりますが、「病鉢巻」姿でその最中も激しく咳込みます。この難局を乗り切るまで刀を杖に歩くなど、とても辛そうな様子を演じます。しかしこの場面は、今は菅丞相を裏切る形で仕えている主人・藤原時平(帝位を狙う悪役)にも、その手下の春藤玄蕃にも自分は病気であると思わせておく必要があり、松王丸が息子を身代わりにしてまで菅丞相への旧恩・忠義を立てたいという思いを象徴的に表しているのが、この「病鉢巻」姿なのです。
「病鉢巻」とは、文字通り病人が巻くもので、紫草(ムラサキ科ムラサキ属の多年草)の根には解熱、解毒の生薬としての薬効があり、これで染めた鉢巻を結び目を左にして額に巻くことで病状を軽減できると考えられていたそうです。舞踊劇『保名』の安倍保名、『摂州合邦辻』の俊徳丸、『廓文章』(吉田屋)の傾城(遊女)・夕霧などがあげられますが、“江戸紫の鉢巻”でお馴染みの助六は、鉢巻の結び目が右側です。これは歌舞伎の約束事で「元気一杯な若者」を表しているので病人ではありません。
今から約1000年前の平安時代、あの清少納言によって書かれた『枕草子』。その二十八段「にくきもの(イラッと来るモノ!)」に次の一文があります。
にはかにわづらふ人のあるに、験者もとむるに、例ある所になくて、外に尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、よろこびながら加持せさするに、このころ物怪にあづかりて困じにけるにや、居るままにすなはち、ねぶり声なる、いとにくし。
[現代語訳] 急病人が出たので加持祈祷(お祈り)をする修験者を呼びに行ったところ、いつもいる場所にいない! あっちこっち探し回っている間、とっても待ち遠しい思いでいたところ、ようやくやって来た修験者を喜んで迎えて加持祈祷させる……ところが、このところも物の怪を調伏の仕事が連続して疲れているのか、お祈り開始早々眠そうな声になるのはマジ、イラッと来るっ!
当時は病気の原因はウイルスでも生活習慣でもなく、物の怪=悪霊が取りつ憑いて引き起こす仕業とされていました。「薬師」という薬草を調合する“医者”の存在もありましたが、効き目の程は現代医学には遠く及びません。そこで病の背後にいると考えられていた物の怪を、修験者(祈祷師、僧、陰陽師など)がその調伏=退治を目的に「悪霊退散!」と祈り続けることこそ、病気の最大の治療となったわけです。この一文は前後の文脈からも冬、風邪が流行った季節と考えられます。
東京に戻り、朦朧とした意識の中で病院に駆けつけた時、主治医の顔がまさに祈祷師に見えたのでした。