ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い

【其の九拾伍】「庵唄(いおりうた)」の流れる里が紡いだ物語

2018年4月

古典空間

江戸末期から明治に全盛を迎えた当時のJ-POPとも言える「端唄(はうた)」。その端唄と曲名も詞章(歌詞)もまったく同じ楽曲が富山県南砺市城端(じょうはな)で受け継がれているという事実。元々は一人の三味線弾き唄いが演奏形態と言われた端唄とは異なり、笛や太鼓も加わり複数での演奏に変化はしたものの、城端のアイデンティティとしてその伝承には世代を超えて今でも熱くエネルギーが注がれています。

2016年12月には、18府県33件の「山・鉾(ほこ)・屋台行事」の中の1件として、ユネスコの無形文化遺産に登録された「城端曳山(ひきやま)祭」。豪華絢爛な曳山は言うまでもなく、その曳山の前を行く庵屋台の中で唄われる庵唄こそ、城端曳山祭と城端という町の歴史を象徴する大きな存在です。加賀絹で栄えた城端。京都や江戸などの大都市での商いの成功が、贅を尽くした曳山や庵屋台を産み出したわけです。特に文化文政時代の江戸文化は美術工芸から文学、芸能に至るまで爛熟期を迎えていました。そんな江戸文化に接した城端の絹商人たちは衝撃を受けたに違いありません。江戸滞在中には吉原などの遊郭で遊び、端唄など当時の流行音楽を稽古して、きっと名残惜しく城端に戻ったはずです。そして自分たちが遊んだ遊郭を庵屋台として再現し、その中で唄った端唄が庵唄として形を変えたのでしょう。

こうした城端の歴史、すなわち物語をそのまま企画化した公演が、3月11日(日)、南砺市城端伝統芸能会館じょうはな座で「城端・庵唄のふるさと 江戸芸能の風景(1) 端唄を落語・車人形とともに」でした。この意図に共感して下さったじょうはな座スタッフや城端を想う方々と共に準備を重ねられたことが、当日の大盛況を招いたと確信しています。

第1部では、江戸端唄の名人・本條秀太郎さんと城端庵唄保存会の皆さんとの「庵唄・江戸端唄聴き比べ」。第2部は、かつての城端の人々が目にしたであろう江戸の人々の模様を、古今亭菊之丞師匠の古典落語で。第3部は、講談や落語の人情噺として人気の高い『紺屋高尾(こうやたかお)』を、田辺銀冶さんの講談に乗って八王子車人形・西川古柳座の皆さんが一人遣いの人形で演じ、本條秀太郎さんの音楽が彩りました。

紺屋の職人久蔵が見た遊郭三浦屋の花魁・高尾太夫の豪華絢爛な部屋を紹介する場面で、「それはまるで城端曳山祭の庵屋台のよう」と銀冶さんに語ってもらった瞬間、場内から拍手が沸き起こった時、この公演の企画意図が「伝わった」と実感できました。

そんな城端でも後継者不足は否めない事実です。先立つ1月31日に、町屋を再生した「じょうはな庵」に本條秀太郎さんを招いて、演奏とお話で構成する勉強会を催した時の反響の大きさに、改めて私たちは“よそ者の立ち位置”で地域のお役に立つことの意味を学びました。


2018年3月11日
南砺市城端伝統芸能会館 じょうはな座にて

「城端・庵唄のふるさと
江戸芸能の風景(1) 端唄を落語・車人形とともに」

舞台写真と人形によるお見送り

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