ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い

【其の伍拾六】酒 三題

2009年8月

能に『猩々(しょうじょう)』という演目があります。中国の揚子の市に、高風という親孝行な酒売りがいました。その高風からいつも酒を買って飲む客がいるのですが、どんなに飲んでも顔色が変わらない……不思議に思って尋ねると、海中に住む猩々だと答えました。ある美しい月夜、高風が酒を持って猩々を待っていると、猩々が海中より現れ、酒を飲んでは舞い遊び、汲めども尽きぬ酒壷を高風に与えて去ってゆく……という物語。

「猩々」というのは、中国の伝説上の存在で、赤い顔をした酒好きの動物といわれています。毛むくじゃらの絵を見ても“オラウータン説”が微妙に説得力を持っています。能の『猩々』は、童子のような赤い面に赤い頭、赤の装束とオール赤で登場します。猩々のイメージカラーはひたすら赤。お酒を飲むと顔や身体が赤くなる方が多いことからでしょうか。

落語の『禁酒番屋』。ある藩の家中の者が酒で大失敗をしたため、怒った殿様が禁酒令を出しました。酒屋は何とか手を変え品を変えて城内に酒を届けようとしますが、どうしてもバレて「この偽り者めが!」と怒鳴られたあげく、結局番屋の役人に酒を飲まれてしまう。そこで仕返しとして逆手を取って役人に小便を飲ませてしまう……「けしからん、このような物を!」「だから最初から小便と申しました」「わかっておる! えぇい、この正直者めが!」というのがオチ。落語界初の人間国宝、柳家花緑さんのおじいさんである五代目・柳家小さん師匠、その役人の酔態は絶品でした。

飲んで飲まれて、様々な人間ドラマを演出する酒。文学や芸能の世界でそのネタは尽きません。冷たく冷やした爽やかな口当たりの黒部の酒に舌鼓を打ちつつ、一杯一杯また一杯、今日もまた“熱い”夏の夜が更けてゆきます。

山中与幽人対酌
両人対酌山花開
一杯一杯復一杯
我酔欲眠卿且去
明朝有意抱琴来


山中(さんちゅう)に幽人(ゆうじん)と対酌(たいしゃく)す
両人対酌すれば山花(さんか)開く
一杯一杯復た一杯
我酔ひて眠らんと欲す 卿(きみ)且(しばら)く去れ
明朝 意有らば琴を抱きて来たれ


山中で隠者と酌み交わす
君と二人でさし向かって酒を酌み交わす。
傍らには花が開いているな。
何と気分がよいものか……一杯、一杯、また一杯。
俺は酔って眠くなった。
今日はひとまず帰ってくれないか。
明日の朝、気が向いたら琴を抱えてまた来ないか。

任侠と酒、そして自然と美女を愛し、永遠の旅人として諸国を放浪。才気縦横、自由奔放な詩風から「詩仙」と称された盛唐の天才詩人、私も“かく生きたい”などと憚りながら敬愛する李白(701~762)の代表作のひとつ。

(2009年08月 COLARE TIMES 掲載)

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