ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い

【其の六拾六】今、想うこと

2011年5月

今回の出来事を契機に、私たち芸能・芸術に携わる者も、あらためて社会に於ける自らの役割を真剣に考える日々を送っています。多くの仲間は、被災地を巡りボランティア活動や慰問演奏を行ったり、チャリティー公演や義援金募金を行うなど、復興に向かう方々のお役に立てることを一所懸命模索しています。

震災直後、私たちが住む東京では、いわゆる歌舞音曲を一斉に自粛する傾向にありました。まず被災地の皆様への思い、そして、計画停電や交通機関の混乱等に直面し、自分たちの基本的な生活の確保を最優先とせざるを得ない時期に、音楽や演劇どころではないことは言わずもがなのことです。しかし現在、状況は刻々と変化しています。東北の皆様には復興に向けた「物理的な支援」はもちろん、同時に「心の支援」が必要になってきていることを様々なメディアから知らされます。また、無用に経済活動を止めることが被災地に向けて間接的にマイナスの影響を及ぼすことも知りました。支援する側がパワー不足では何も伝わらないことも自明であることを再認識し、普段から「劇場・舞台空間から発せられるエネルギーを、明日を生きる糧に!」というメッセージを伝え続けている私たちは、今こそ真に求められる存在にならなくてはならないと自覚します。

鯰絵(なまずえ)

鯰絵(なまずえ)・・・安政江戸地震(安政2年/1855年)直後、江戸市中には多くの鯰絵が出回った。

ところで、記録によると江戸の幕末には実に様々な災害がうち続いたそうです。安政元年(1854)には全国で巨大地震が頻発し、とくに翌安政2年10月2日、江戸で起きた「安政の大地震」が江戸の人々に及ぼした影響は、政治、経済、あらゆる方面に想像を絶するものがあったと言われています。地震予知や緊急地震速報などなかった時代、頂点に達した人々の不安は様々な想像力を掻き立てたようです。そのひとつが「大鯰(おおなまず)が地下で大地震を引き起こす」という俗信。鯰(なまず)は、多くの被害をもたらすものとして忌み嫌われる一方、その後世の中を再生する「世直し」にも繋がると解釈され民衆から崇拝されもする奇妙な存在だったようです。その両面を描いた「鯰絵(なまずえ)」というものが大量に出版されました。また、当時の“メディア”のひとつとも言える芝居(歌舞伎)でも、鯰は『暫(しばらく)』という演目にも登場する鯰坊主などの悪役に仕立てられています。

こうして原稿を書いている最中にも震度3程度の揺れが度々襲ってきます。見えない大きな力に正直不安感は抑えきれません。歴史の流れさえも捻じ曲げてしまう天変地異。しかし地面は揺れても、人が人として抱く心だけは揺れずにブレずに、地に足を着けて「元気に」生き抜く……そんな想いこそ大切にしたいところです。

一刻も早い復興を願いつつ、あらためて、この度の東日本大震災に被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

(2011年05月 COLARE TIMES 掲載)

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