ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い
コラーレ倶楽部
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COLARE TIMES
【其の六拾八】松島や
2011年10月
陸奥に ありといふなる 松島の
まつに久しく とはぬ君かな (古今六帖)
日本三景のひとつで古くから歌枕(和歌に詠み込まれた名所)として知られる景勝地、宮城県の松島。湾には数々の奇岩や島が浮かび、そこに生える松にかかる月が絶妙の眺めを演出。都で暮らした平安貴族は言うまでもなく、時代を超えて多くの人々にとってあこがれの地でもありました。
松島のサアヨー 瑞巌寺ほどの 寺もないとエー
あれはエー エイトソーリャ 大漁だエー
宮城県の有名な民謡『大漁唄い込み』という組唄の中のお馴染み「斉太郎節」にも唄われる瑞巌寺(ずいがんじ)。比叡山延暦寺第3代座主、慈覚大師・円仁が天長5年(828)に創建し、国宝に指定されている現在の建物は、慶長14年(1609)に仙台藩主・伊達政宗が桃山様式の粋を尽くして5年の歳月をかけて完成させたという名刹です。
いづる間も ながめこそやれ 陸奥の 月まつ島の 秋のゆふべは
所がら 類はわけて 無かりけり 名高きつきを 袖に松島
など、政宗自身も数々の和歌を残しています。
元禄2年(1689)に江戸を出発し、約150日間にわたり東北、北陸を旅した松尾芭蕉の俳諧紀行文の集大成『奥の細道』。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」で始まる冒頭の一節に「松島の月先心にかゝりて」とありますが、念願の松島の地で芭蕉は「いづれの人か筆をふるい詞(ことば)を尽くさむ」と句を残していません。あまりの絶景に句が浮かばなかったとか、絶景を前にした時はあえて句を詠まないことを美学にしたとか様々な説がありますが、ここでは同行した弟子の曾良の句を配しています。
松島や 鶴に身をかれ ほとゝぎす
(ほととぎすよ、この素晴らしい松島の上を飛ぶ時は、この景色にふさわしい鶴の姿になって飛びなさい)
歌舞伎や日本舞踊の音楽としてなくてはならない常磐津に『松島』という曲があります。
日の本に 三つの景色の一という
みちのおくなる松島へ 今日思い立つ旅衣
と始まり、次々と松島の名所を唄ったもので、散在する島々や浜の名称などを巧みに掛詞に織り込み、季節感豊かな情景描写で常磐津では“御祝儀物”の名曲のひとつとされています。明治17年(1884)東北出身の家元・常磐津小文字太夫の作品。
今夏関わった2公演で、二人の日本舞踊家の『松島』に触れることができました。8月25日、「渋谷金王丸伝説 PART.2」(渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール)で市川染五郎(=松本流家元・松本錦升)さんが、そして9月4日、日本舞踊公演・弧の会「コノカイズム」(下関市民会館)で花柳基さんが踊られました。
共に、復興に向けて踏ん張る東北の皆様に伝統芸能の力で更なるエールをお届けしたい、という思いが選曲の意図にあることは言うまでもありません。もちろん松島も被災されています。品格あるお二人の踊りに、改めて「今できること」の意味を問う日々です。
(2011年10月 COLARE TIMES 掲載)