ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い
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COLARE TIMES
【其の百六】箏さまざま
2021年5月
世界にはいろいろな種類の箏があります。日本でもコトを弾く埴輪が多く出土していて、古墳時代からこのような楽器が存在していたことがわかります。現在、日本で箏(そう/こと)と言われている13本の弦を持つ楽器は、奈良時代(8世紀頃)中国より伝わり、平安時代には貴族階級の日常の音楽であった雅楽で用いられ、その後にさまざまな改良が重ねられました。そして、主として関西地方で生まれ室内楽として人々に親しまれた地歌・箏曲というジャンルで使われてきました。長さは約180cmで幅は約25cm、桐の木を使用。弦には絹糸が用いられていましたが、現在では化学繊維のテトロン製が主流です。「柱」(ブリッジの役割)を立てて、その柱を左右に動かしたり、左手で弦を押さえたりして音の高低を作り、右手の親指、人指指、中指に爪をつけて演奏します。また、演奏者に最も近い1本を除く12本が、演奏者から客席に向かうにつれ順に低くなる音高で調弦されることがほとんどです。
※日本の楽器の弦は、「絃」と書く方が馴染みますが、常用漢字にないため、一般には「弦」を用いています。本来は「糸(いと)」と言います。
※箏の数える単位は「面」。一面、二面と数えます。
■箏? 琴?
コトは「琴」と「箏」のどちらが正しいのでしょうか? 結論から言うと、「箏」は楽器としては「そう」、本来は箏という楽器です。「琴」は平安時代には広く弦楽器を意味していました。『源氏物語』などにも「箏の琴」「琵琶の琴」などの表現がたびたび出てきます。「箏という弦楽器」と解釈するのが順当と思われます。街で「お琴教室」のような看板をよく目にしますが、1946年に国が当用漢字を定めた時に「箏」が入っておらず、「琴」が代用されて以来混同されるようになったのではと言われています。
もっとも、中国に「琴」という7弦の楽器があります。大きさは箏より小さく構造も奏法も異なります。日本でも雅楽では演奏されていた時期があり、光源氏は「琴の琴」の名手でした。ややこしい話です。
■八橋検校
長い箏の歴史をご紹介する余裕はありませんが、箏の音楽を芸術の域に高め、多くの一般庶民にこの楽器が近づく契機となったのが、江戸時代前期における八橋検校(1614 – 1685)の活躍です。箏の伴奏による歌曲(組歌)や箏独奏の器楽曲(段物)など箏曲の世界に新境地を開き、現在の日本の箏曲界のまさに大元に当たる人です。
京都土産と言えば「八ッ橋」が有名ですが、あの焼き菓子の形状は箏を模しているとのこと。京都に在住した八橋検校は大変な倹約家で、お釜に残ったお米を集めて固めて焼いて食べた……この逸話の真偽は別として、死後に八橋検校を偲んで作られたお菓子と言われています。また八橋検校の没年に生まれたのが“音楽の父”ヨハン・セバスティアン・バッハと“音楽の母”ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルです。音楽室に掲げられたバッハとヘンデルの肖像画の隣に、八橋検校も掲げるべきではないでしょうか。
■二大流派……生田流と山田流
八橋検校が創り出した箏曲をもとに、孫弟子にあたる生田検校(1656 – 1715)は、当時の京阪(上方)を中心とした西日本の三味線音楽(地歌)と“コラボ”させて新たな音楽世界を確立しました。これが生田流箏曲です。生田検校の多くの弟子たちが全国にこの音楽を波及させ今に至ります。江戸時代中期、その生田流の流れをくむ山田検校(1757 – 1817)が登場します。しっとりとした上方風の音楽は江戸の人々の趣味には合わなかったようで、江戸で人気の浄瑠璃(三味線を伴奏に物語を語る芸能ジャンル)を箏曲の世界に移入したのです。ここに“花のお江戸”生まれの音楽として、箏を伴奏に物語を弾き語る系統の山田流が生まれるのです。
つまり生田流と山田流の根本的な違いは、演奏する音楽世界が大きく異なるということです。生田流は角爪を用い、箏に対して斜め45度に対して構えます。山田流は丸爪を用い、箏には真正面に構えます。また両流派の箏の形状の違いは、素人目にはわかりませんが実は異なります。現在では生田流の奏者も音量の大きい山田流の箏を用いているため、製造されている楽器のほとんどが山田流の箏であることも興味深い事実です。
■宮城道雄
お正月に必ずや流れてくる『春の海』をご存知ない方はいないはずです。箏を世界に知らしめた曲と言えましょう。穏やかな瀬戸内海の春の海をイメージし、尺八との二重奏曲として作曲されました。初演は1929年(昭和4年)ですが、この曲を有名にしたのは1932年に来日したフランスのヴァイオリニスト、ルネ・シュメーと作曲者の宮城道雄本人との日比谷公会堂における共演でした。その後録音され、日本のみならずフランスやアメリカでのレコード発売を契機に国内外に知られることになったのです。宮城道雄は確たる生田流箏曲家ですが、自らの音楽的アイデンティティを薄めることなく、西洋音楽を日本文化の中で時流と共に昇華させる能力をもった作曲家でした。また楽器開発者としての業績も画期的です。洋楽に不可欠の低音要素を表現するために大型の箏、十七弦を作りました。
現在、多くのプロの箏奏者は、従来の箏と共に十七弦も必修と捉えています。近年では二十弦、二十五弦などの多弦箏が開発され、古典作品にはない斬新なテクニックや作曲手法による現代邦楽をはじめ、若い演奏家を中心にジャンルを問わず様々な音楽シーンで多弦箏の音色が響いていますが、宮城道雄の自由かつ柔軟な発想や姿勢こそ、その原点にあることは間違いありません。