ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い

【其の八拾伍】“旅情”と引き替えに……

2015年4月

歌川広重「東海道五拾三次 戸塚 元町別道」

歌舞伎や人形浄瑠璃には「道行物(みちゆきもの)」と言われる演目(舞踊劇)が数多くあります。さまざまな人生を抱えた登場人物がある目的地に向かう道中、次々と目に映る風景や関連する物語などを盛り込み、その時の心情や旅情を重ね合わせた「掛詞(かけことば)」等の文学的詞章を駆使した長唄や浄瑠璃にのって演じられます。

恋と忠義はいずれが重い、かけては思ひ計りなや、(まこと)のもののふに、君が情と預けられ、静かに忍ぶ都をば、跡に見捨てて旅立ちて、作らぬなりも義経の(静の姿が良い……と言う意味)、御行く末は難波津(なにわつ)の、波に揺られて漂ひて、今は芳野(よしの)と人づての、噂を道の枝折(しほり)にて、大和路指して慕ひ行く。

そんな道行物の代表作の一つ、『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」の冒頭部分です。
義経は、兄頼朝に追われる身となり、西国(さいごく)に下ることを断念、今は大和国(やまとのくに)吉野(よしの)に身を潜めています。愛人の静御前は、義経のもとに赴くべく桜花満開の山中を、家臣の佐藤忠信と主従の道行をします。静が初音の鼓を打つとどこからともなく忠信が現れます。その忠信は実は偽者で、正体は鼓の皮として張られた狐の子供の化身でした。親狐を慕って静の旅につき従って来たのです。

月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行き交ふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

言わずと知れた松尾芭蕉の俳諧紀行文『奥の細道』の冒頭部分ですが、元禄2年(1689年)3月27日に千住から日光街道へと旅立ち、東北を巡って何と7月13日には越中に入るのです。黒部川、片貝川等を渡り滑川へ。高岡を経て15日には倶利伽羅峠(くりからとうげ)を越えて金沢に到着するのです。

昨年5月、『奥の細道』の全行程の追歩を目指す友人夫婦と共に、倶利伽羅峠越えに挑みました。眼前に広がる絶景は言うまでもなく、倶利伽羅不動寺の由来、「火牛(かぎゅう)の計」の故事を用いた木曽義仲による戦、実際に歩いてみたからこそ、さまざまな事跡が鮮明に脳裏に刻まれています。

父が石川県白山市の出身である私は、幼稚園の夏休みに祖父母の家を訪れるにあたり、上野発の寝台車で7―8時間揺られて早朝の金沢駅に降りた覚えがあります。東海道新幹線が開通してからは米原経由、北陸本線で金沢へ。“夢の超特急”車中でハンバーグ弁当を食べるのが楽しみでした。その後、上越新幹線開通後は越後湯沢経由でお馴染みのほくほく線。携帯に追いかけられることなく缶ビールを飲りながら、車窓から四季の景色を味わいつつ現在に至ります。

そして、いよいよ「北陸日帰り」が現実化、日常化することとなりました。富山湾の魚に舌鼓を打ち、富山の銘酒を味わってその日の内に東京に戻る……出発地と目的地のみを結ぶ「点と点」の移動とも言えるでしょう。まさに「隔世の感」、旅情を味わう「旅」はすでに遠い彼方のことのようです。
テクノロジーの進歩を享受する側は、時間や労力等「プロセスの短縮・省略」という恩恵を蒙ることができます。北陸新幹線開通、この世紀の出来事が生み出す“余剰エネルギー”を昇華させ、いかに北陸の文化、産業の振興と結びつけられるかが、享受する私たちの新たな課題なのではないかと考えるのです。

歌川広重「木曾街道六十九次 鳴海宿」

歌川広重「木曾街道六十九次 鳴海宿」

 

歌川広重「東海道五拾三次 品川宿」

歌川広重「東海道五拾三次 品川宿」

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