ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.66 「山海塾」2023年秋 USAツアー

2024年4月

 2023年コロナ禍も収まり、4年ぶりに山海塾新作『TOTEM 真空と高み』を、3月に北九州芸術劇場、8月に世田谷パブリックシアターで発表しました。北米の状況も良くなってきましたが、上演を控えていたカンパニーが玉突き状態で劇場公演を開始した関係で、山海塾が参入出来る場所が限られるようです。舞台装置の輸送コストも以前より高く、今回は衣裳や舞台美術をスーツケースに詰めてメンバーと一緒に飛行機移動する『KŌSA』のみの上演です。今回も主宰の天児は治療のため参加しませんが、前回の南米では病気療養で参加しなかった竹内が復帰しました。私は演出兼舞台監督で、出演しません。

 10月4日、日本出発、サンフランシスコ空港でツアーマネージャーのティムと合流し、カリフォルニア州パロアルトに到着。今回もスーパーバイザーとしてダグが同行します。
 会場はスタンフォード大学のメモリアルホール。2010年に『TOBARI』を上演した古い劇場です。5日仕込開始、劇場スタッフはユニオンの縛りが無いので仕事の担当を分け合い、時間も通常は1日を4時間単位で朝、昼、夜と分けるのですが、9時から2時、3時から8時として夜の仕事を無くしました。近くにレストランが無いので移動ロスも少なく、うまく機能しました。6日ワークショップ、通し稽古。7日公演、客席数1,710で2階席にも入っていたので、それなりの観客数になったと思います。公演後プロデューサーのリンダ、プレゼンターのローラ、ツアーメンバーとパキスタン・レストランで食事をしました。ローラは京都に住んでいたことがあり、大阪で山海塾公演を見たという女性です。食事後に次の公演地ダラスに向けたメッセージビデオをスマホで20秒ほどリンダが撮りました。相変わらずパワフルな女性です。

 テキサス州ダラスでは1987年『金柑少年」、1993年『SIJIMA』、1996年『YURAGI』を劇場「McFarlin Auditorium」で上演しています。今回は「Moody Performance Hall」という劇場や美術館が集中する街の一画に有る独立した建物で行いました。10年ほど前に建てられた749席の中劇場で、壁がコンクリート打ちっ放し、天反と側反が有り、音響効果を重視した劇場のようです。
 10月12日仕込初日。午後、「Crow Museum of Art」という場所で質疑応答というサロントークがあり、ダンサーが出席しました。こういう場合、私は舞台監督ではなく演出助手という立場で応答します。公演2日目の午前中に少し離れた場所にあるダンススタジオでワークショップ。公演は10月13・14日の2日間。公演後、暗転幕の前でプレゼンターのチャールズが司会し、通訳付きで私と観客の質疑応答を30分ほど行いました。チャールズは70歳前後だと思いますが、山海塾公演を何度も見ていて知識もあり、山海塾の説明を最初にしてから観客の質問を受けていました。インターネットの配信映像でいろんなものを見ることが出来るが、それでも劇場で見ることの素晴らしさについて熱っぽく語っていました。

 10月15日、バージニア州リッチモンドに移動。1990年11月に市内にある美術館「Virginia museum of fine arts」で『UNETSU』を上演しています。今回同行している相川、岩村が33年前に初めて山海塾のスタッフとして参加、相川が結核を発病し入院した町です。今回はリッチモンド大学に有る「Alice Jepson Theatre」で10月18日『UTSUSHI』公演。大学は山の中の広大な敷地の中にあり、ホテルから車で通いました。劇場は2階席の有る576席の小劇場で、メルヘンチックな作りです。舞台奥行きが10mほどしかなく、かなりアレンジが必要です。ローホリゾント、アッパーホリゾントライトとも小さなLEDライトが沢山組み込まれた機材だったのが功を奏したように思います。仕込み日に綱元係だと紹介された人がリハーサルに居なく、本番直前になっても来ないのでリハーサルに携わったユニオンの人が急遽担当してくれました。大学のホールなのでいろいろな立場の人が居るようでした。観客は年配の人が多く、終演後なかなか退場せずに会話しています。きっと過去に山海塾公演を見た人たちが講評しているのだと思います。撤去作業をしていると、若い劇場スタッフの何人かが素晴らしかったと言ってくれました。

 10月19日、飛行機を乗り継いでオールバニ空港からバスで、マサチューセッツ州ベケットの山中にある「ジェイコブズ・ピロー」に着きました。ダンスフェスティバルで有名なこの施設に1週間滞在し、10月22日、3時間のワークショップを行います。ツアー日程が埋まらなかったこの期間を、ジェイコブズ・ピローの宿泊施設で過ごす計画です。支配人の女性から次は山海塾公演をここで行いましょうと申し出が有りました。ところで今回初めて知ったのですが、ニューヨーク州の州都はニューヨークシティーではなく、途中通ったオールバニです。
 10月22日午前中にワークショップを行い、昼食後、バスでニューヨークに移動しました。

 2019年の北米ツアーではニューヨークに来ていないので、2015年以来です。「ジョイス・シアター」は2010年の『TOBARI』以来です。その折、劇場の下見に来たのですが、やはり下見に来ていた坂本龍一さんと客席で話した事が良い思い出となりました。
 ジョイスの技術スタッフが最近ユニオンに加盟して労働時間が厳しくなったそうで、ダグが何度も事前にやりとりをして厳しいタイムスケジュールを作成しました。以前も加入していたと思うので、ユニオンにも幾つかのタイプがあるのだろうと思います。劇場は間口、奥行き、飛びダッパのいずれも通常より小さいので、かなりのアレンジが必要です。いつもならば食事時間に行うサウンドチェックも禁止なので、照明フォーカスの合間を縫って行うしか有りません。初日の午後1時からフォトコール(報道用写真撮影会)が予定されているのですが、間に合うかどうか不安でした。
 23日仕込み日、朝一番に舞台上でメンバー紹介と注意事項説明が有り、世田谷パブリックシアターとよく似た始まりでした。舞台上の場ミリを行うと大黒幕が想定より舞台前だったので、場面ごとにアレンジしてアクティングエリアを確保しました。照明機材は事前に仕込まれていて午後フォーカス開始、通常のパーライトが無く、すべてソースフォーです。その上タッパが無いので舞台床のエリア輪郭がなかなかボケません。ダンサーには綺麗に当たるので、観客は気にしないと思います。夕食前にフォーカスが終わり、夜はキューの打ち込みとサウンドチェックを行い、予定より早く仕込みが進んだので、翌朝の開始予定を8時から9時に変更、予定になかったダンサーズ・スペーシングをフォトコール前に入れることが出来ました。下手前の円形白砂はフォトコール前の仕込みで現地スタッフにレクチャーし、その後ユニオンの規定で私はタッチできません。
 2010年『TOBARI』公演では穴空き大黒をジョイスのタッパに合わせて作成したので、裾一文字を照明で作りましたが、今回は出来ません。大黒前にアッパーホリゾントライトが有ったので、夜の青のシーンはブルーを当てました。場面転換としてうまくいったと思います。24日初日終演後、舞台上で解説者、通訳を交えて観客と質疑応答。2週間にわたる公演で、土曜日はマチネ(昼公演)、ソワレ(夜公演)の2公演。毎回開演3時間前にならないと劇場に入られず、1時間半前にならないと劇場スタッフが来ません。機材トラブルが心配ですが、トラブルさえなければ体力的に楽です。日曜日の公演中に私のインカムがバッテリー不足でダウン。充電器の上にインカムが乗っている場所を知っていたので、本体を交換し、事なきを得ました。観客はそれなりに入っているようです。カーテンコールでは大きな声援が聞こえ、終演後に作業灯が着いてもなかなか帰らない客が毎回数人居ます。

 1ヶ月を超えるツアーが終わり、11月6日帰国。今回はワークショップに加え質疑応答という話をする場面が多く、身なりや立ち居振る舞いなど外見にも気を使う旅でした。

カリフォルニア州パロアルトのスタンフォード大学にある劇場「Stanford Memorial Auditorium」

テキサス州ダラスにある劇場「Moody Performance Hall」

バージニア州リッチモンド大学にある劇場「Alice Jepson Theatre」

マサチューセッツ州ベケットの山中にある施設「Jacob’s Pillow」

ニューヨークにある劇場「Joyce Theater」

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