ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.70 「山海塾」2024年秋 イスタンブール

2025年3月

 過去に何度か話が出ては実現しなかった、トルコのイスタンブール公演です。イスタンブール芸術文化財団からフランスのエージェントに『UTSUSHI』公演の打診があり、フェスティバルのプログラミングマネージャーから1年ほど前に劇場図面を受け取り、日程調整を行いました。ダンサーの市原がその時期アメリカにいるというので、彼ひとりアメリカ往復のフライトで参加する事になりました。『UTSUSHI』は私が舞台監督を務めるので、スタッフは照明、音響各1名です。春先にフェスティバルのテクニカルコーディネーターとの遣り取りが始まり、劇場図面に書き込んだ仕込図を送ったところ、舞台が違うと言ってきました。しかし私が受け取った劇場図面はドラマステージという舞台のみです。相手にそう言うと、会場は「Zorlu Performing Arts Center」という複合施設で、メインステージという舞台図面を送ってきました。ウェブサイトで調べるとドラマステージは演劇用の中劇場、メインステージは「Turkcell Sahnesi​」というキャパ2000を超えるコンサートホールです。会場や日程はフェスティバル側が決める事なので、仕込図を描き直し送りました。

 その後、国際交流基金から連絡があり、日本とトルコの国交樹立100周年を記念した国際交流基金主催公演だとの事。契約関係がフランスのエージェントと日本の事務所のダブルエージェント状態になっています。直感的に私が現地で演出助手と舞台監督の両方を務めるのは無理があると感じて、日本から舞台監督を連れて行く事にしました。また、一般公開する公演記録ビデオを山海塾側で作成するよう国際交流基金から要請があり、山海塾のDVDを制作販売しているアイオーファクトリーに依頼しました。

 10月21日、成田のホテルに宿泊。翌日、空港でツアーメンバー、アイオーファクトリーの吉川、国際交流基金の鳥嶋さんと合流して、トルコ航空でイスタンブールに向かいました。『UTSUSHI』は、舞台美術、衣裳、メイク道具をスーツケース5個に詰めて手荷物として持ち込みます。8月下旬のスウェーデン、10月上旬のシンガポールの船荷が未だ日本に戻ってきていないので、新たに物品を工面しました。フランス人エージェントのガエル、アメリカから入国した市原ともホテルで合流し、23日朝、フェスティバルのガイドに連れられてホテルから劇場に向かいました。徒歩15分ほどなのですが、途中に長い地下道や階段があり迷路のようです。ガイドも経路に自信がないようで、迷いながら案内してくれました。

 劇場は巨大な複合施設の中で入口にはエスカレーターがあり、ガラス張りのショッピングセンターの様な雰囲気です。地下道出口付近では手荷物検査があり、劇場に入るにはIDカードやICカードキーが必要です。客席は3階席まであり、チケットは完売しているそうです。昼食は隣接しているフードコートで色々な国の食べ物が選べます。東京の有楽町にある国際フォーラムに似ています。1階席中央に音響、照明用ブースがあり、そこに撮影用カメラをセットしました。かなり良い画角で撮れそうです。

 事前に上演作品のビデオを見た主催者から遠回しに、トルコではお尻を出して踊ると不評を買うと言ってきました。『UTSUSHI』の3景は1978年に発表した『金柑少年』の「闇の手」と言うシーンを使っていて、4人のダンサーが後ろ向きに踊りながらローブの腰紐を解いてお尻を突き出して踊るシーンがあるので、そのことのようです。単にその部分をカットしたのでは上演時間が短くなるので、振付を変更する事で主催者に了解を得ています。照明のフォーカスに入る前に、舞台上で4人が仮面を付けたまま裾の長い衣裳で新しい振付の動きが出来るか確認しました。所要時間もほぼ同じで、見た目もかっこよく出来ました。

 10月24日午後8時開演、私は客席から舞台を見ます。終演後バックステージで、舞台衣裳のままのダンサーとスポンサー企業、フェスティバル事務局の人たちと記念撮影。その後ホテルの近くで国際交流基金の人たちと食事をしました。メニューは良くわからないのですが、東欧や地中海料理のようです。心配していた飲酒もこの店では問題なく、ビールやワインを注文出来ました。

 25日、午前11時から劇場のバックステージでワークショップ。このワークショップに参加したいというメールが23日にイランからあり、エージェントのガエルに対応をお願いしました。ワークショップと同じ時間帯にステージを清掃していました。舞台上で小麦粉を撒き散らすシーンがあり、舞台袖中も白くなっています。袖中にセットした衣裳の早替わり用クイックチェンジブースが解体され、大勢のスタッフがモップで床を掃除しています。衣裳が無造作に床に置かれていて嫌な予感がよぎります。3時間のワークショップを終え、控え室で国際交流基金のビデオインタビュー。後日の編集を考慮して複数パターンを収録し、開場直前まで映像チェックを行いました。この日も客席から舞台を見ていたのですが、暗転板付きの3景、灯りがカットインすると4人のダンサーの内1人が仮面を付けていません。どうすることも出来ないのでそのまま見続け、客席の反応を観察しました。初めて見る観客は異変に気付きませんが、記録ビデオは困ったことになったなと思いながら見ていました。終演後に話を聞くと、開演10分前にクイックチェンジブースから仮面が無くなっていることに気付いたが、どうすることも出来なかったとのこと。劇場は24時間複数の監視カメラで録画しているので、不審者がいなかったかチェックするとのこと。私はゴミと一緒に捨てられたのだろうと思いましたが、ゴミの行方を捜している時間はありません。舞台美術、衣裳、メイク道具を梱包、スーツケース5個に詰めてホテルに向かう車に乗り込みました。

 26日、日本へのフライトは15時50分なので、午前中はボスポラス海峡を見ようと、ホテルから徒歩で30分ほどの海岸に行きました。街中にも猫がたくさんいたのですが、海岸にも釣り人から獲物を貰おうとたくさんの猫がいました。釣り人が釣りポイントを移動すると、猫が付いて行きます。のんびりしたこの海峡を通って黒海の対岸、クリミアは戦争状態だと思うと人間の愚かさを感じます。

 さて、市原とガエルをホテルに残し、日本帰国組は空港に向かいました。トルコ航空の日本便はオーバーブッキング状態で、1日滞在を延長する人にはホテルと日当を支給するから申込みを受け付けると案内しています。一緒に帰国する国際交流基金の鳥嶋さんがオーバーブッキングの対象となっていて、搭乗口カウンターで我々団体と同じグループだと主張して優先的に搭乗券を得ようと全員搭乗口に向かいましたが、まだカウンターが開いていません。最終的には一緒に帰ることが出来ました。いろんな事が起こった初めてのイスタンブール公演でしたがまだ続きがあります。帰国1週間後、現地テクニカルコーディネーターから舞台床を覆っていたリノリウムの汚れが取れない、綺麗に出来ないと弁償しなければならないと法外な金額を言ってきました。これまでの経験で使用した洗剤や使い方をメールで複数回遣り取りし、その後連絡がありません。一件落着かな~?と思っているところです。

Zorlu Performing Arts Center

Zorlu Performing Arts Center(劇場ロビー)

ボスポラス海峡(左ヨーロッパ、右アジア)

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