ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.27 2004年春 スイス1

2005年1月

イスラエルからパリに戻り、一日の休暇の後、4月25日日曜日、飛行機でジュネーブに向かいました。いよいよ久しぶりのスイスツアーが始まるのですが、実は最初の公演地トノンはスイスではありません。しかしスイスに非常に近いのと上演作品が同じ「うねつ」なので、何となくひとくくりの感じがしています。パリからジュネーブに来たのですが、スイスに入国しないで手荷物を受け取り、バスで特別の道路を通ってフランス側に入りました。劇場は湖の畔でキャパ500人ほどの MAISON DES ARTS。楽屋が少ないので衣裳替え用クイックチェンジの場所を確保するのが大変でしたが、劇場スタッフが楽しく頑張って、窓の目張りをするなどして確保してくれました。フランスでは仕込みの時も舞台上でたばこを吸いながら、楽しそうに働く人が多いので、町はスイスっぽいのだがやはりフランスだなと感じます。4月27日「うねつ」上演、満席。

翌日、エビアンから連絡船でジュネーブ湖を横断してローザンヌへ入りました。霧の中を船で進むと、時折湖岸に大きな町並みが見えます。360度、山々に囲まれ朝日が差してくると急速に霧が晴れていきます。それでも入り江には靄が残り静謐な感じに満たされています。今回のスイスツアーはステップ9というダンスフェスティバルに参加する形で行われます。スイスのスーパーマーケット大手、ミグロスという企業が売り上げの一部をフェスティバルの運営費に充て、2年に一度開いています。出来るだけ多くのグループを紹介するために、同じグループがこのフェスティバルに招待されるのは一度限りと言うことです。ローザンヌの港にフェスティバルからカトリーヌというツアーマネージャーが迎えに来ました。ここからバスで200キロ離れたバーゼルへ移動します。

バーゼルの会場はかつて馬の訓練場だった所を、その雰囲気を残したまま木造の建物の中に上下に稼働するトラス天井をホイストで吊って、照明や美術を吊ります。客席も仮設雛壇となっているのですが、人が歩くとかなりきしみ音がします。そのせいか、開演後はたとえ客席に空きが有ろうと、何人たりとも入場させない方針だそうです。会場の名前はたぶん Kaserne Basel。ドイツ語はまるっきりわかりません。国語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の四つ有るそうです。ホテルから劇場への通勤用にバーゼルの市内地図と路面電車の1週間チケットを貰いました。川や教会、鉄道の駅など絵の配置で地図を解読し、電車のチケットは磁気が施してあるわけでもなく、見に来る人がいるわけでもなく、どうやら持っているだけで良いようです。舞台が仮設の上、狭かったので仕込みは大変だったのですが、天井に一文字幕と呼ばれる隠し幕を掛けなかったので、舞台全面を覆っている水の波紋が天井に反射してとても美しかったそうです。4月30日、5月1日「うねつ」上演、満席900人。

翌5月2日、バスで85キロ離れたチューリッヒへ。会場は Stadthof 11、劇場と言うよりも大学の講堂のような感じで、特に客席が妙な造りで横壁を開けると野外やロビーが同一フロアーになるようです。夕方打ち合わせ後、そのまま仕込みに入りました。夜10時頃、日本から二人目の照明スタッフの吉本が到着しました。チューリッヒ以降は移動、仕込み、翌日本番を繰り返すので、照明は二人体制として本番日の朝、岩村は次の公演地に先乗りして、照明機材のプレハンギングを指揮し、翌日到着する本隊を待ちます。このようにしてこの後13日で6カ所の公演をこなす計画です。そこにもう一つ立ちはだかるのが、日曜・休日はトラックが道路を走ってはいけないという法律です。これはフランスでもお馴染みの法律で15年ほど前に出来たように思います。労働組合がらみの法律で雇用者が運転手を休ませなかったり、一部の出稼ぎ労働者などの働き者が他の者の仕事を奪ったりするのを防ぐ目的のようです。フランスでは何とかすり抜ける方法を見いだしているのですが、スイスはかなり厳しいようで、我々の舞台装置を載せたトラックは次の日、月曜日の早朝、バーゼルからチューリッヒに移動します。無事に仕込み終えて5月4日「うねつ」公演、満席700名。

  • コラーレ倶楽部 特典・入会案内
  • 子どもたちの夢の種 リトル・カルチャークラブ
  • 実行委員会 コラーレを支えるサポーター
  • COLARE TIMES コラーレの機関紙からピックアップ
  • コラーレ倶楽部 アクティブグループの部屋
  • コラーレの足あと 沿革と過去のイベント紹介
  • アクセスマップ
  • 黒部市国際文化センター施設の空き状況を確認
  • コラーレ応援団体
  • 黒部であそぼう! リンク集