ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記
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COLARE TIMES
Vol.62 「山海塾」2022年夏 コロナ禍の日本ツアー
2022年12月
幾つもの公演企画が立ち上がっては消え去った2年間でしたが、ようやくツアー企画を実行するときが来ました。1年半ほど前に完成した柳川市民文化会館、2年前に始まった豊岡演劇祭、4年前に完成した札幌文化芸術劇場の3ヶ所で「TOBARI」公演が決まりました。活動を休止している間にメンバー交代があったため数回の通し稽古を行い、衣裳や舞台装置の手直しをして、2018年中国の北京公演以来の上演です。
福岡県柳川市は有明海に面する水都と呼ばれる町ですが、初めて訪れます。2日前にトラックに積み込み、前日羽田経由で佐賀空港から柳川入りして、翌日8月26日の仕込みに備えました。北原白秋の故郷で、大ホールも白秋ホールという呼称です。音楽イベントを想定した作りだと思いますが、舞台上の反響板や客席の壁が高い音響効果を持つようです。1階客席が空気浮上式でレイアウト変更出来るようです。掘割に面して建っていて、ホワイエからの眺めがゆっくりとした時の流れを感じさせます。
「TOBARI」は舞台美術としての吊り物は背景幕だけなので天井反響板は邪魔にならず、この様な劇場に適しています。掘割にも回廊や踊り場が設けてあり、そこでワークショップを行う計画でしたが、コロナ感染が収まらないため中止になりました。8月28日マチネ公演。新メンバーも問題なく久しぶりの公演は無事終えました。私は時間的に帰宅できないので延泊し翌日帰宅、舞台装置をトラックから富山倉庫に格納しました。
豊岡演劇祭は演劇の町を目指して、2019年プレ演劇祭、2020年第1回演劇祭、2021年は4月に芸術文化観光専門職大学を開校し、演劇祭には山海塾も参加する予定でしたが、直前に緊急事態宣言が発出され中止になってしまいました。2022年の開催も危ぶまれましたが、無事始まりました。山海塾の公演会場は豊岡市民会館です。古い多目的ホールで奥行きが短いため、平台で180cm舞台を張り出します。その平台や木足、不足の照明、音響機材、フォーカス用高所作業車などを12tトラックに積み込むと満載状態です。劇場搬入口が狭いので少し不安です。
9月14日積み込み、翌日早朝移動。他のメンバーと京都駅で落ち合い、福知山線で豊岡入り、午後から搬入仕込み開始しました。搬入口の地上高が高く、トラックのパワーゲートが格納式なので、水平より上に傾けることが出来ません。30cmほどのギャップを人力で持ち上げての搬入となりました。夕方6時頃タクシーで30分ほどの所に有る出石永楽館という枡席の古い劇場に、山海塾メンバーの岩下とサックス奏者の梅津和時による即興セッションを見に行きました。演劇祭会場は広範囲にわたっていて、城崎温泉やコウノトリの郷など有名所から名所旧跡など、観光と文化を結ぶ活動になっているようです。仕事ではなくのんびり観光に来たいところです。豊岡市民会館は構造の問題かデザインか、日本のホールとしては珍しく客席が対称ではありません。今のような消防法でなかった時代には面白い演出をしていたのではないかと想像します。9月17日ソワレ公演。撤去後全員1泊し、私は翌日早朝出発、富山倉庫でトラックから舞台装置を格納。
18日に格納した舞台装置を20日再び札幌公演に向けてトラックに積み込み、21日富山空港から札幌空港に向かいました。関係者に新型コロナ感染者が出たという情報があり、急遽全員PCR検査を受けることになりました。22日朝から札幌文化芸術劇場で舞台仕込みが始まったのですが、この日も全員PCR検査を受け、やはり関係者の陽性反応が出たので幾度かの検討と話し合いを経て中止することになりました。夕方から舞台撤去開始、トラック積み込みを完了し翌日全員帰宅。1日で搬入仕込み、撤去搬出を行ったのは山海塾47年の歴史のなかで初めてのことです。
札幌までの交通費、輸送費、ホテル宿泊代金が無駄になりました。主催が劇場なので実際に支出する費用は劇場が負担してくれることになり、出演料は貰えませんが費用の持ち出しにはなりませんでした。2年前の世田谷パブリックシアター公演は山海塾が主催だったので、チラシの印刷代などの広告宣伝費、前売りチケットの払い戻しなど莫大な負債が直接身にふりかかりましたが、そこは回避できました。
9月26日富山倉庫で舞台装置を格納し、後味の悪い日本ツアーが終わりました。