ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.63 「山海塾」2022年秋 新作「KOSA – between two mirrors」ヨーロッパ公演

2023年2月

 欧米はいち早くコロナ対策を解除し日常生活に戻り始め、公演のオファーも入り始めました。2021年末から舞台装置の輸送見積を通関業者にお願いしていたのですが、非常に高額な上に輸送スケジュールが確定しません。2020年11月のレユニオン島公演の迷走を考えると、衣裳、化粧品、小道具を自分たちと一緒に持ち運ぶ「UTSUSHI」のような作品が無難と言うことで、新作「KŌSA」という作品を創りました。舞台美術は下手前の砂の円盤、上手奥のヒレのように持ち上がった三角のリノリウムの二つ。「UTSUSHI」と同様、過去の作品のコラージュで構成し、5月に各パートの稽古をしました。その後ソリストの1人に癌が疑われ、7月に精密検査を行う事になったのですが、航空券や労働許可証申請に間に合わなくなり、急遽メンバーを入れ替えることになりました。秋の日本ツアーも問題だったのですが、精密検査の結果、癌細胞が見つからず、手術など行わない事になり日本ツアーには参加しましたが、海外ツアーは不参加とせざるを得ませんでした。山海塾主宰者で演出家の天児は来春の新作準備のため日本に残ることになり、日本からはダンサー6人、照明、音響、舞台監督それぞれ1人、そして現地エージェント1人の総勢10人でツアーします。

 9月30日、エミレーツ航空でドバイ経由ジュネーブ到着。フランス人エージェントのガエルと落ち合い、チャーターバスでスイスのフリブールに移動。何度か来たことのある町で、エキリーブル劇場(Theatre Equilibre)は2017年1月以来2回目です。ランスルーのリハーサルもゲネプロも行っていない新作なので、ツアー最初が既知の劇場だったのは幸いです。その前に予定されていたドイツ公演がウクライナの戦争で成立しなかったのは残念ですが。私はこの作品には出演せず、二つの名前を使い分けて演出と舞台監督を担当します。10月2日から仕込み始め、4日ソワレ公演なので準備に十分時間が有ると思っていたのですが、3作品から8景をコラージュしたのでスポットライトなどの照明機材が3作品分有ります。朝9時から夜11時まで劇場に居るのですが、なかなか終わりません。演出の立場の私ですが、今まではその作品に出演していたので実際に見たことが無いのです。照明を伴うリハーサルは演出家として客席からマイクを使って指示します。本番は舞台監督として舞台袖からヘッドセットでスタッフにキューを送ります。試行錯誤の「KŌSA」世界初演でしたが、600ほどの客席は満員、拍手が鳴り止みませんでした。

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エキリーブル劇場(Theatre Equilibre)(スイスのフリブール)

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モーリス・ノヴァリナ劇場(Theatre Maurice Novarina)(フランスのトノン)

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ル・パヴィヨン・ノワールでのワークショップ

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ル・パヴィヨン・ノワール(Le Pavillon Noir)(フランスのエクス・アン・プロヴァンス)

 翌10月5日バスでフランスのトノンに移動。フリブールへはレマン湖の北側、トノンへは南側を通ったので、びわ湖とほぼ同じ大きさの三日月型湖を一周したことになります。1981年「金柑少年」、2004年「UNETSU」公演で来ているのですが、モーリス・ノヴァリナ劇場(Theatre Maurice Novarina)は大改修を経て新しい劇場になっていました。湖岸の高台にあり、外壁が全面ガラス張りで、劇場内のレストランからレマン湖が見渡せます。地下にはギャラリーやカフェが有り、イベントスペースとして活用しているようです。舞台の天井は高さが低いので大黒は引割幕を開閉することにし、奥行きも短いので後ろから照明で染めるリヤスクリーンがうまく染まりません。プロセニアムエリアの天場が高さ5.5mほどしかなく、文字幕、サスバトンとも変則的な高さで設定しました。3作品のアクティングエリアを合成しているので照明バトンの位置とも絡んで奥行きを縮めるのが難しい状況です。狙いとは違いリヤスクリーン越しに灯心が見えてしまうのですが、どうすることも出来ません。一つのことにこだわらず全体を仕上げることを優先しました。10月8日、582の客席は満員となり、ここでも拍手が鳴り止みません。舞台袖から客席の状況は判らないのですが、ヘッドセットでスタッフと話し、カーテンコールを増やしました。小さい小屋は観客との距離が近いので、臨場感が強いのかもしれません。フリブールもそうでしたが、舞台から観客席までの距離がとても近いのです。日本では消防法で、距離をとるよう定められていたかと思います。豊岡では新型コロナ感染の関係で前3列は無観客でしたので、余計近く感じます。終演後35年前に山海塾のエージェントをしていたマリー・デクルチュールと客席で会いました。彼女はこの近くの町に住んでいて友達数人と見に来てくれました。

 10月10日、チャーターバスでエクス・アン・プロヴァンスに移動。この町はセザンヌの故郷で、1981年「金柑少年」公演以来41年ぶりに訪れました。その時は市立劇場で公演したのですが、劇場で仕込み中に警察官が来て、ダンサーのみが警察署に連行され取り調べを受けた町です。私がそれまでの行動を時間と共に記録していたので、スキンヘッドの少年たちが盗みを働いた時間、私たちが公園に居たことをキヨスクの店員が証言してくれて解放され、開演時間が過ぎていましたが劇場に戻り公演しました。あれから41年経ち、学術、芸術都市として発展していました。今回はアンジュラン・プレルジョカージュがディレクターを務めるル・パヴィヨン・ノワール(Le Pavillon Noir)という劇場とスタジオの複合施設で公演します。10月10・11日はスタジオでワークショップを行いました。様々な年齢、人種の人とワークショップを行うのはいろいろな発見があり、とても興味深いものです。
 劇場は大臣柱が無く、客席の床がそのまま舞台床に繋がっているボックス型で、奥行きは13mと短いためアクティングエリアの奥行きを55cm詰め、下手前円形も対角線上を20cm中に入れ込み、サイドスポットは袖中の壁に取り付けダンサーはかがみながら袖中を通ります。10月14・15日の2日公演で378席の観客席は両日とも満席になりました。劇場ロビーにレストランが有り、公演後食事に招かれ観客との会話も行いました。豊岡市が目指しているのはこの様な芸術都市なのだろうなと思い、その町に移住して活動している知人に近況をメールしました。

 今回のヨーロッパはここで終わり、この後41年前と同じくメキシコのグアナファトに行き、セルバンティーノ国際フェスティバルに参加します。

 

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