ラレコ山への道:国際交流員「目からウロコ」
コラーレ倶楽部
アクティブグループの部屋
COLARE TIMES
#06 アイデンティティー
2012年3月
先日、富山県在住の国際交流員により企画された「JET世界まつり」が開催されました。私はステージ担当で、ステージ上では今年初めてとなるトークショーを企画しました。パネルには富山県の外国人を招いて、日本や富山についておしゃべりするショーで、いわゆる某テレビ番組「ここがヘンだよ日本人」のパクリでした。
そこで中国系のカナダ人が、日本でよく遭遇する場面について述べていました。「よく何人(なにじん)ですか、と聞かれます。その際私はカナダ人ですよ、と答えます。これに対して相手は必ず困惑します。そして再度聞きます、元々はどこの国からですか、と。それに対して、カナダで生まれたので、元々カナダ人です、と答えます。もちろん相手は納得いきません。最終的に私も仕方なく相手が求めているであろう答えを言います……つまるところ、“人種”は中国人です、と」
私も境遇が似ているからか、何度か同じ経験をしたことがあります。これまた人種差別に関わる話になりかねないのですが、今月は敢えて別のトピックについて語りたいと思います。
要するに自分のアイデンティティーが何なのか、つまり「Third Culture Kid」としてのありかたです。Third Culture Kid(直訳すれば第三文化子女)は、50年代に社会学者の Ruth Hill Useem が作り上げた言葉です。後に別の社会学者、David C. Pollockによって付け加えられた説明が以下の通りです。
「Third Culture Kid は両親の故郷文化とは異なる社会で成長過程の大部分を過ごした子女のことを言う。関わりある文化すべてに多少のつながりは感じても、いずれの文化に対しても完全な帰属感はない。各文化の要素を自分の人生観に取り入れるも、特定の文化ではなく、自分と似た背景を持つ者に惹かれ帰属感を抱く」
香港で生まれ、幼少期を日本で過ごし、オーストラリアに移民した者としては、かなり頷けます。オーストラリアに20年以上住んでいたにも関わらず、完全なオージーにはなれてないなと実感する場面が数々あります。友人の中でもアジア系オーストラリア人が一番多いです。言うまでもなく、日本にいると生粋の日本人とは程遠いと感じていますし、最近の香港旅行では多少懐かしさを感じながらも、それ以上に疎外感を抱きました。いずれの文化においても、完全に属することは不可能だと思っています。
これについて、イタリア人の友人から興味深い話をきいたことがあります。オーストラリアではイタリア人が多いのですが、多くは数十年前にオーストラリアに移民してきました。友人曰く、来豪後彼らは終結し、独自のコミュニティーを作り上げ、固有の文化を守り続けてきたそうです。一方、故郷のイタリアでは文化を含む様々な面での発展が続きました。その結果、イタリア系オーストラリア人は本場のイタリア人より伝統的なイタリア文化を保っているそうです。ゆえに、イタリア系オーストラリア人がイタリアに行くと地元の住民より「イタリア人っぽい」と言われたりするそうですが、やはり本場のイタリア人とは違うものになりつつあるわけです。
もちろん、Third Culture Kid であることにマイナスもあればプラスもあることは否めないです。今まで貴重な経験をしてこれたこと、今でもそれぞれの文化の恵みを深く楽しめること、異文化に対しての寛容さが自然と身に付いたことなど、様々です。
いずれにせよ私の表面的な背景や人種分類および国籍とは関係なく、私といった人間に純粋な興味を持って接してくれる方々は多く、今の私があるのも主に文化ではなくそういった人たちとの出会いがあってこそです。
(2012年03月 COLARE TIMES 掲載)