ラレコ山への道:国際交流員「目からウロコ」
コラーレ倶楽部
アクティブグループの部屋
COLARE TIMES
#10 至れり尽くせり
2012年7月
フォーブス(Forbes)で最近読んだ記事ですが、オーストラリア人のフレンドリーさは世界的にも評判がいいそうです。特に評価が高かったのが、海外駐在者にとっての社会への溶け込みやすさ、地元の人々の親しみやすさ等で、私も読んだ後は鼻高々でした。
さて「親しみやすさ」とは違えど、日本人の「もてなしの心」も世界的に有名だと私は思います。最近、友人のALT(外国語指導助手)が黒部市在住のY氏から夕食に招待されましたが、友だちも連れていいということで、ありがたく同行しました。驚くことにまず茶室に案内され、本格的なお茶会が開かれました。朝に獲れた魚や所有する農園から収穫した野菜等、夕食の内容も非常に贅沢で料理が出るたび感嘆せざるを得なかったです。日本では招待される数こそ少ないですが、招待されるたび毎回感心してしまいます。例えば幼い子どもがいる家に行った時、少しは手を抜くんだろうかなと思ったところ、見事完璧な食事が出されました。他に旅館等でも毎回サービスの質の高さに驚かされています。
それに対する、主にアメリカ人にまつわるエピソードがあります。友だちに夕食に招待されたのですが、食事を終えた時点で意外なハプニングが……。なんと食事代を請求されたのです! 手土産としてケーキを持参したにも関わらず1000円求められ、私はしぶしぶ手渡すハメになりました。
逆に私が友だちを夕食に招待したとき、「何か持ってこようか?」と訊かれ、「うーん、じゃ飲み物でも持ってきてくれる?」と答えました。さて、時間になり友だちが来たところ、なんとそれぞれ持ってきたのは自分のためだけの小さなジュースボトル! あきれるばかりでした。アメリカでは大体こんな感じなのか、それとも若い故に世間知らずだったのか未だに分かりません。
話は戻りますが、日本人のもてなし水準は時に皮肉な結果に繋がるのではないか、と思うことがあります。つまり、こういうことです。いざ客を招待すると料理は完璧で、家もピカピカに掃除してある。しかし多大な労力が必要なため、皮肉なことに滅多に招くことはない。それゆえ、せっかくの素晴らしいもてなしだが、実際体験する機会はとても少ないのではないでしょうか?
ここで強引にワンポイント英語ですが、私のブログ(http://kurobecir.blogspot.com)で触れた「catch」の動詞を使った表現を紹介する良い機会かなと思います。「catch 22」と題するジョーゼフ・ヘラーによる小説に由来する表現ですが、「catch 22」とはジレンマ(板挟み状態)、またはパラドキシカルな状況を指します。上記の状況はある程度「catch 22」状態になっています。
上で述べたのが、家においての簡単な集いがなくなりつつある理由のひとつかな、と思っています。更に自分が感じたのは招かれる側も一種のプレッシャーがあることです。あまりに丁重に扱われるため、あまり気楽に楽しめない、というのは私だけでしょうか? 気兼ねなく、くつろぎたいと思うのであれば、もてなしてくれない家の方が良いときもあると思うので、日本にいた間、オーストラリアのシンプルで見栄を張らないバーベキュー文化が時々恋しくなります。準備も特に必要ないし、庭をささっと掃除するだけでOKなので非常に効率良いです。
そうは言っても、日本文化の影響を受けながら育ってきたので、個人的には友だちに最高のもてなしを施すことがわりと好きです。質は日本人に比べるとまだまだですが、私の中にある日本文化独特のもてなしの心(の欠片?)は誇るべきもの思っております。
(2012年07月 COLARE TIMES 掲載)